大きければいいというものでもない。たとえそれがテキサスでも。
過去8年間にわたりニューヨークに住んでいたが、私はテキサスが故郷だと思っている。私はテキサス州西部の砂漠地帯で生まれ、父はそこの油田で働いていた。7歳のときにヒューストン北部の郊外に引っ越し、そこで私は幼少期を過ごした。私はテキサス出身であることを誇りに思っている。経済的にも、人種的にも、文化的にも、そして環境的にも、世界で最も多様性に富んだ場所のひとつだ。集積回路はテキサスで発明された。そしてアメリカの宇宙旅行も私の高校から車で1時間足らずのところで生まれたのだ。
成長するにつれて自分の住んでいる州に関する、公平であったり不公平であったりする批判をよく耳にするようになった。テキサスは決して完璧ではないし(完璧な場所などない)、私自身が物や人がテキサスにふさわしいかどうかを判断する立場にあるとは思っていない。また、決してそうなりたくもない。しかし、2021年末にウブロからのテキサスをテーマにした時計のリリースがメールの受信トレイに滑り込んできたとき、私は自分の故郷のために声を上げなければならないと思ったのだ。
ここで単刀直入に言おう。この時計はテキサスとはまったく関係もないものだと思う。
ダイヤルとストラップがブルーのカモフラージュ? 痛くなるほど目を丸くした。ローターのレッド、ホワイト、ブルーのプリントは安直に大国アメリカやチリでさえも表現できるのだろう。12時位置のロジウムメッキのひとつ星? なるほど、それなら少しは理解できる。しかし、この5角形の星はテキサス州を表現するのと同様に、ガーナやセネガル、あるいは北朝鮮をも表すのだと私は言いたい。テキサスは非常に広大で多様性のある地域なのにウブロは画一的な路線を取ることで自らを損なってしまった。テキサスの人々が抱く故郷への限りない誇りと関わり、それを語る代わりにウブロは保守的な行動をとり、コミュニケーションから完全に遠ざかってしまったのだ。
ブルーセラミックのケースは好きだと言わざるを得ない。カラーセラミックはいつだってクールだし、44mmの直径は“テキサスではすべてが大きい”という古い口語を連想させる遊び心に満ちている。しかし、ウブロが自社製クロノグラフキャリバーのUNICOではなく、ETAベースのHUB 4100ムーブメントを採用したことには失望した。人々はウブロの時計製造における実力をひどく過小評価しているようだ。この会社は2010年代初頭にBNBコンセプトを吸収したというのに。7753ベースのクロノグラフに220万円(税込)もの価格を設定したことはどうかと思う。ウブロが過去に発表したテキサスをテーマにした限定モデル、2013年のビッグ・バン フェラーリ テキサス(シックス・フラッグス〈※〉の乗り物になりそうな、これまた誇らしいテキサスの創造物)には、UNICOムーブメントが採用されていたのだからなおさらだ。